湯瀬温泉-共同浴場-

1970年代初頭の湯瀬温泉の共同浴場の概況を詳述してみた。現況調査は(2010年頃)はしていない。
現況と比較して、湯瀬温泉の挙動浴場の変遷理解の一助となれば望外の幸せである。

共同浴場

温泉利用(関係)の変遷で、共同浴場についてはかなり述べてきたから、ここでは、カラコの湯の管理運営に付いてみることにする。
。カラコの湯は、往古、誰が入っても無料であり、湯守などはいなかったようである。旧宮川村に属する川部・大里・長峰などの一が共同浴場に入湯しに来ていた。湯瀬はこれらの部落を廻って、管理費用を米で徴収していた。これは大湯温泉における場合と同様である。
いつごろからか管理人をおくようになったがこの管理人は部落が雇い、共同浴場の売上げによって、給与を支払った。昭和49年8月に"温泉狂"が調査に訪れた時は、部落外大人30円、小人15円の入場料を取り、選択には10円を課していた。月平均5万円位の売上げがあったと言われ、うち4万3千円を管理人の給料として、残り7千円が部落に入った。部落はこれを税金、修理費に充てていた。
 数年前からカラコの湯に市民センターを建築する話が持ち上がっていたが、主種の事情で、老人憩の家となり、予算2千万円をもって、昭和49年10月から建築を始めた。部落は、この時、共同浴場の土地と部落総有の鉱泉地を市に20ヶ年の有期無償譲渡している。