八幡平の温泉ー湯治ー

湯治客の地域

蒸の湯の倒壊のため、蒸の湯の湯治客の調査は不可能となった。しかし、蒸の湯の経営者から興味ある事実が引き出されたので、それをまず紹介しておきたい。
第2次大戦後、蒸の湯が大きく発展していくにつれて、湯治客も次第に増加するようになった。その湯治客の主な地域は、能代や大館方面で代表されていた。能代から来る湯治客が多くなるにつれて、いつとはなしに、その者たちの間で、能代会なるものが作られたと言われる。能代会は蒸の湯湯治行の会員募集も併せて行い、多い時で 140人、少ない時で60人もの団体を編成して、蒸の湯へ湯治に来たと言われる。能代会は蒸の湯の祭りである金精祭りも主催していた。
この能代会が中心となる前は、大館のラカレキ組という湯治客の団体があった。
古くからこの地へ来ている者達の間では、その入湯客の地域ごとに、大きな団体が作られ、こぞって入湯しに来たと言われる。これらは湯入講と称されるものと考えられる。
さて、蒸の湯では、そのような方面の入湯客が多いことが知れたが、後生掛や玉川ではどのようであろうか。
まず、後生掛けの顧客名簿(オンドル宿舎に4日以上滞在した者)によって、湯治客の地域構成をまとめてみた。
地元は比較的少なく、又後生掛より南の方面は、秋田市を除いて、非常に少ない。大館市が最も多く、全体の21、1%を示し、次いで、比内町の 9、7%、尾去沢町の 9、2%と続く。岩手県方面の湯治客は少なく、二戸郡に属する安代町、一戸町が高い比率(2町合計で 270人― 11、2%)をしめているにすぎない。地元に近い花輪町が少ないのも1つの傾向として興味深い。
では、玉川温泉の自炊客の地域構成はどうだろうか。秋田市、大館市は後生掛と変わらず多いが、最も特色ある点は、その地域構成が南北で逆転することである。すなわち、後生掛では北方地域に湯治客の卓越が見られるのに対して、玉川では玉川から南方に自炊客の卓越が見られるのである。しかし、両温泉とも、地元は思った程少なく、秋田県内においては、蒸の湯と同様に、大館市がかなりの部分をしめるに至っている。

湯治客の職業と来湯人員

次に湯治客の面接調査から得られた結果を見ることにする。
なお、蒸の湯は自炊のオンドル宿舎1棟の結果であり、調査当時お盆のため湯治客は帰郷していて、5グループ8人のみに対して、調査を行った。後生掛では80グループ 179人、玉川では71グループ 159人に対して調査を行った。(全て自炊宿舎の結果である)
まず、その職業を見ると、全体としてはやはり農業が最も多く、全体の34%を占め、ついで、会社員13、5%、公務員10、9%となっている。これらはグループでの代表者が答えているため、グループ全体の職業を示すものでないが、一応全員の職業としてみなした。後生掛温泉は農業、会社員が多く、玉川は農業、公務員が多かった。次に旅行者数では、単独来湯が最も多く、68人に及び、2~3人での来湯が59グループ、ついで4~5人の来湯が24グループで、あとは極めて少ない。

湯治客の年齢と湯治の目的

年齢別では、60代以上が 188名、50代 118名、40代90名、30代78名、20代86名、10代に至って 130名となっていって、老人と子供が多いことが知れるが、これは子供の喘息、皮膚病などを治すために、親の代わりに、祖父、祖母が、湯治のかたわら、連れてくるためである。この傾向は特に玉川温泉に強く、後生掛は弱い。
この傾向は又、湯治目的にもあらわれていて、後生掛では自分の神経痛を治すために、子供を連れて、オンドル宿舎に来湯する傾向にあるが、玉川では71グループのうち6グループが、子供の病気を治すために来ている。湯治目的である病名を記すと、神経痛のため来湯が、蒸の湯で2グループ、後生掛で37グループ、玉川で24グループとなっている。玉川が少ないのは、神経痛以外の病気―例えば、皮膚病、痔、胃、糖尿病、骨折―のため来湯している者が多いからである。

湯治客の日数、回数と湯治への意識

この地方の湯治場―特に八幡平温泉郷―の3日1廻り3廻りの特性が明瞭となる。すなわち、9日間ないし10日間の滞在日数で来湯しているものが、蒸の湯で4グループ、後生掛で32グループ(4割)、玉川で19グループ(3割弱)にものぼっている。
ところで、これらの人たちは、その殆どが、10年以前も前に来湯しているのであり、その数は、全部で30グループにものぼっている。
しかし、その回数を見ると、後生掛では、初めてという人がかなりの数にのぼり、玉川では初めても多いが、4回以上、毎年などの人が29グループにもなっている。初めての人は、その大半が、蒸の湯倒壊のために動いた人たちであり、この傾向は特に後生掛に強い。なぜならば、蒸の湯と同種の施設-オンドル宿舎-があるからである。
ところが、玉川においては、その影響はあまりなかった。蒸の湯がだめになって、後生掛へ来た。それはオンドルがあるからであり、又、玉川の湯がきつくて、性に合わないためである。そして、みんながいるからである。ところが、玉川へ流れていった人たちは、オンドルが汚いから、玉川の湯が効くと聞いたから、来てみたら、きついが、良い湯なので、来年も来湯したいと言っている。
古くから来湯している人達はこうも言っている。私のじじ、ばばの時代に一緒に山越えをして連れて行かれて以来、自然に足がそこへ向いてしまう、行くと必ず湯治仲間がいるから、又、みんなが行くから行くのだという者もいた。
このような、仲間意識を強く持っているのは、蒸の湯や後生掛のオンドル宿舎に来ている者に強い。
ところが、玉川温泉の場合はそのような意識が形成されていない。すなわち、ここの入湯客は個室を望んでいるのであり、致し方なく、単独来湯者は同室させられていると意識している。これは、玉川温泉が強酸性のため、治療目的の難病患者が急増していることと無縁でない。ここでは、仲間より、自分の病気を治すため、排他的な療養環境を入湯者は望んでいるように見えた。
このような背景もあったことから、玉川温泉研究会は発足し、その後、温泉医学研究所が開設され、診療所には現在、東北大学医学部、岩手医大の医師が常駐するようになった。

湯治の意義

湯治が温泉利用にどのような意義をもたらしているかをまとめてみる。
入湯客は3日1廻り3廻り、9~10日間滞在の老齢層と幼年層の長期療養客が多く、又農民がその大半を占めている。入湯圏は玉川がその南側の秋田県、岩手県内が多いのに対して、後生掛ではその北側の秋田県、岩手県内が多い。地元は比較的少ない。
蒸の湯と後生掛はオンドル施設で知られ、その施設のために、蒸の湯が倒壊すると、多くの湯治客が後生掛に来た。蒸の湯では湯入講が形成され、仲間意識が芽生えた。このことは、入湯客が定着化することにつながり、湯治宿経営上の大きな強みとなった。
逆に、玉川はそのような施設のないことが、異なった客層を呼び、療養温泉地としての機能を特に促進した。これは、玉川における泉質が日本有数であることが原因と考えられる。