八幡平の温泉-集落形成者-

温泉集落とその形成者

八幡平温泉郷の温泉集落はすべて1温泉地1経営体であり、蒸の湯、後生掛、藤七などは、それが開発されて以来、今日まで1経営者の相続によって経営されてきた。又、志張は、八幡平の温泉ー温泉の概況と沿革ーに述べたとおりである。

八幡平温泉郷を構成する各経営体の経営状況-1974年時点
温泉旅館名 経営形態 資本金 売上高 部屋数 収容人員 従業員 入湯客数 兼業状況
旅館 自炊 旅館 自炊 住み込み 通い
玉川 事業所 15000 65 260 260 62 13 70000
後生掛 合資 400 9500 24 80 200 30 26 23053
蒸の湯 株式 50 4000 24 86 36 20 8000 林業、市議
籐七 事業所 5200 20 65 9 8 5000

蒸の湯

蒸の湯温泉の開発者であるA家は、秋田県下でも有数の地主であった。秋田県史によれば、所有耕地が 114町あり、小作人の個数は 150戸にものぼった程である。その後の農地解放によって、かなりの土地は失われたが、現在でも、旅館業の傍ら兼業として、林業経営を行っており、又支持層(小作人層)の推挙で、現在(昭和49年)、鹿角市の市議として活躍している。蒸の湯倒壊前は、能代の八森、岩手の葛巻方面から、多い時で、46~7人の従業員を雇っていた。

玉川温泉

玉川温泉は前述したとおりであるが、現在、湯瀬ホテルはこの他にもトロコ温泉を経営している。
昭和11年当時の経営者関氏の設備並購入計画によると、トロコ温泉買取に2300円、同建築に2000円、又玉川温泉設備費として 10000円、その収入(副産物…湯花ならびに硫黄を含めて)11000円であり、同時に陶氏に3500円、玉川道路寄付に 15000円支払う予定になっている。当時のホテル収入は、25000円であった。
現在、玉川温泉は売上高15000万円を示し、湯瀬ホテルの売上げの21、7%を占めている。これは下記の6ヶ月のみの売上げであり、今後、冬住みが解消されるに従って、大きく発展する余地を残しているといえる。

八幡平温泉郷の集落形成者とその規模

ここで、蒸の湯、玉川、藤七、後生掛の4温泉の現在(昭和49年)の階層構成を見ると、玉川が従業員75人、売上高15000万円で最上層を占め、それに次ぐ階層が、後生掛の従業員56人、売上高9500万円である。後生掛につぐ階層が蒸の湯と藤七であり、この両者は部屋数、従業員、売上高、どの指標をとっても、同規模である。
この4温泉を大滝、大湯、湯瀬の各階層で見ると、大滝では第2番目の階層の上位、大湯では最上位階層、湯瀬においても上位層をしめている。すなわち売上高、従業員の指標で見る限り、国際観光旅館の経営規模に匹敵すると言えよう。
なお、後生掛温泉は地元の農民が開業し、周囲の自然景観の卓越もあって、大きく発展したものであり、藤七温泉の経営をしている姫の湯の社長A家は、八幡平村において、最大の分家数を誇っている。
八幡平温泉郷の各温泉は、いずれも地元資本の開発であり、経営規模も大きく、大滝温泉や大湯温泉、湯瀬温泉の各温泉集落においても上位層を占める巨大な経営体である。