湯瀬温泉-集落の地域構成-

1970年代初頭の湯瀬温泉の概況を詳述してみた。現況調査は(2010年頃)はしていない。
現況と比較して、湯瀬温泉の変遷理解の一助となれば望外の幸せである。

集落の地域構成

湯瀬温泉は秋田県と岩手県の県境近く、米代川の上流渓間部の狭小地に立地した山間の観光温泉集落である。周囲を 800乃至1000mの山々に囲まれた標高 211m前後の温泉街は、殆ど塊状といってよい程の集落景観を構成しているのが特徴である。
有力な2旅館が土地の大半を占有し、その間隙を埋めるように規模の異なった各階層の旅館が塊状に立地している。旅館の多くは、米代川の川沿いにのびた1本の狭い路地を中心に集中しているが、下流域のほうに幾分偏在している。これは現在に至るまで、有力な湯場が下流域に集中していたためである。そのうちでも、特に有力なのは最下流にある共同浴場の源泉―通称カラコの湯(河原の湯)―であり、その周囲に、下の湯・中の湯があり、幾分離れて、上の湯があった。(これらは現在でもある)従って、この4つの湯場を利用できる位置に旅館が多く成立したのであり、この湯場から離れて、上流域に立地する2旅館は昭和期に上の湯の周囲の源泉を引湯することで成立したものである。

後述するように、湯瀬は旅館の経済的階級格差が激しく、中でも、温泉集落の対岸にまで立地した旅館(ホテル)はより圧倒的な経済力を誇示しており、土地占有、一級河川水面上の私的独占利用等の形でそれを表している。又、その反対に、最下層に位する旅館は温泉も持ち得ていない。これらの格差は一般的に建物規模にも表れている。

観光関連業については、湯瀬駅から温泉街へ通ずる道に沿って集中している―踏切りの手前で一旦切れるが―他に、標高点 211,4mを中心に集中している。バー・喫茶店などは極端に少なく、食堂・土産物店などの方が卓越している。しかし、総じて、歓楽的特性は示されず、観光関連業部門は発達していないと言える。

温泉集落の上流部や背後の段丘上は、水田に利用されており、特に鉄道の北側には、通称上村と呼ばれる農業を主体とする地区があるが、狭小地のためか、農作物も少なく、温泉場のある下村の雇用力で生計を維持していると言われる。(実際の生計の主体は確かめられなかった。)従って、農業に対する意識は低く、下村が旅館用の農作物を上村で調達しようとしても、上村は動いてくれない状態だと言われる。近々、この上村を通る十北縦貫道の土地賠償金を狙っているからであるとも言われる。

このように湯瀬は観光温泉集落とはいっても、農業集落の上村と温泉集落のある下村とに分化して形成されてきたのであり、更に温泉集落の下村は有力な湯場が、米代川沿いの最下流域に偏在していたために、下流域に旅館の集中地区を形成しながら、温泉集落として発展してきたのである。しかし、その発展は、経済的に有力な1旅館に負うところが大きく、これが対岸にまでわたる土地占取という形で明瞭に示されていると考えられる。