八幡平の温泉-温泉利用と温泉権-

八幡平温泉郷の温泉利用と温泉権

八幡平温泉郷の温泉集落は前述したように、すべて1温泉地1経営体であり、蒸の湯、後生掛、藤七などは、それが開発されて以来、今日まで1経営者の相続によって経営されてきた。又、志張は、八幡平の温泉ー温泉の概況と沿革ー に述べたとおりである。
ここでは、その温泉利用―特に明治大正期の温泉利用―がはっきりし、かつ多くの温泉利用に対する証書が残っている玉川温泉の温泉利用における変遷を見ることにして、次に八幡平温泉郷の国有地における温泉利用を見ることにする。

玉川温泉の温泉利用と温泉権

さて、玉川温泉の温泉利用の変遷を見るに当たって、特に資料として、川村薫著「鹿湯玉川温泉誌」を参考として、述べてみたい。
藩政時代、佐竹藩に属していた玉川温泉は、明治2年の版籍奉還により、国有地に属するところとなった。
明治15年角館町の柏谷太郎右衛門という人が、県に「湯治場開設順」を初めてだし、同17年、県より認可された。県は許可は受けたが、国有地のため、柏谷氏には、地所拝借は秋田山林事務所へ届け出るよう申し伝えた。明治18年、秋田山林事務所は、柏谷氏に地所拝借を許可した。前掲書には、それら2つの手続書類が記載されている。後者の地所拝借請書秋第二項によれば、この当時の契約は「・・・・又は間の御都合により辺地の御達しを受けたる時は何時にても返地可仕候・・・・」としてあり、利用の期間は5ヶ年間であった。
明治32年、角館町の陶光謙に権利は譲渡されるが、その権利とは、「湯治場開設願」である。前掲書によれば、秋田県指令警第甲、によって指令されている。当時の浴場開設などが警察の管轄にあったことがわかる。しかし、柏谷氏も陶氏も単に名義的権利として、「湯治場開設願」を持っていただけで、両氏とも施設経営はしなかった。
その後、福島県の者が、陶氏の権利を借用して、玉川温泉で湯花採取を行っていたが、地元民がこれを知って、採算があると見て、陶氏の使用権のある土地の隣地に於いて、湯花採取を試みた。これは成功し、後に八幡平から東京方面へ、草津の湯華として輸送した。一部は鹿湯(玉川温泉のこと)産として出荷されていた。
大正2年、陶氏は、「湯治場開設願」の権利(大正期には鉱泉浴場開設許可権利として観念されていた)を地元民2名に、契約期間20ヶ年をもって、譲渡した。前掲書によれば、譲渡金として、金百円が陶氏に支払われた。これは、まさしく、温泉権(ここでは温泉利用権と解すべきものであろう)が独立の権利として、譲渡の客体とされた例ではなかろうか。
すなわち、ここでは、源泉地盤所有権の主体が国家にあるため、独立した権利の客体とはされ得ないので、それらを利用する上での、関係官庁の許可―鉱泉浴場開設許可―が、温泉権として、考えられていたと見てよいかもしれない。また、鉱泉浴場開設に要する土地貸付申請(国有地土地貸付)の権利は、すなわち源泉地盤所有権に相当するものは、温泉権と不可分に一体であるべきと思われるが、こちらの方は前記地元民の1名に委任されているに過ぎない。
ところで、前述の契約書中において、地元民2名に、譲渡されることが記載されているが、これは名義上であって、実際は地元民2名を含む4人で構成する組合(名称不明)に譲渡されたのである。この4人の間の念書は前掲書に記載されているが、この中ではっきり、陶光謙より“鉱泉譲受け”と書かれている。
その後、この組合は前述の土地貸付申請を行った地元民1名(組合員)の者に、玉川温泉の事業―温泉を経営する・湯花採取を行う―委任してきたが、その者が国有林盗伐等の罪に問われ、国から契約を解除される事態に及んだため(組合ではなく、国有林盗伐の罪に問われた者1名である)、組合は事実上、解体してしまった。この結果、玉川温泉の温泉権は、又陶氏1人に帰属したのである。
昭和7年、陶氏は、湯瀬ホテルの関直右衛門氏と、玉川温泉の共同経営―1説には関氏が、玉川温泉の温泉権譲渡金を陶氏に支払う期間、共同経営をしたと言われる―を画策し、ここに玉川温泉は大きく開発される端緒を開くこととなった。この当時、蒸の湯の開発者である阿部藤助氏も権利獲得に動いたが、金銭面で折り合いがつかず、関氏が後に申し込んで成功したと言われる。
昭和12年、陶氏は関氏に玉川温泉の全ての権利を譲渡し、同年廃業した。廃業とは聞き慣れない言葉であるが、陶氏は生保内営林署に鉱泉浴場の開設許可と鉱泉沈殿物採取販売許可の2つの廃業届を提出している。同時に、譲渡金も支払い終わっている。契約延滞のため、その譲渡金は8千円になったといわれる。
この後、玉川温泉の温泉利用は、湯瀬ホテルに帰属することとなった。

八幡平温泉郷の国有地における温泉利用ーその1ー

八幡平温泉郷では、国有地における温泉利用はどのような考えで利用されているのだろう。
現在、国有地に立地している温泉は、全て、国(林野庁)との間に、温泉地貸付契約を締結している。従って、国有財産法その他の国家法上(例えば、自然公園法など)の規制を受けることになり、国家の許可による者だけに、温泉利用が許されている。
戦前の契約では、明治初期の玉川温泉の契約に見られたように、「拝借」という言葉で表現される形態をもって、国(この当時、秋田大林区署)と契約を結び、利用の期間は5ヶ年とし、官の都合により、いつでも返地可能とする官の恣意による一種の仮容占有(それは名義的権利の保存だけであったが)としていた。
しかし、現在では、国有財産法第24条の規定に基づき、大きな公益的理由がない限り、その契約は解除されない。すなわち、温泉利用権の権利性は保護されていると言って良い。
ところで、これらの温泉の管理は、現在、玉川、大深、藤七が生保内営林署の管轄として、残る7つの温泉が花輪営林署の管轄となっている。
署では、温泉地の貸付という形式をとっているが、実質的には湯の供給であるので、温泉湧出量の3割をその使用権と定め、その貸付料を固定資産評価基準第5条第1項の鉱泉地の評価に基づき、それに、時価指数、引湯距離指数をかけあわせ、時点修正をして算出している。
次の表は各温泉のそれらの指数と貸付料を示したものである。生保内営林署管轄のものは推定である。なお、貸付期間は5ヶ年であり、5ヶ年を過ぎると、新たに更新することになっている。
さて、次に温泉利用権の譲渡を署ではどのように認めているのであろう。これについては、下記以外、認めていないといっている。
① 個人の経営になる温泉地は、謄本を付した名義変更。
② 法人は代表者の更迭届けによって。
③ 第3者に、それが売買された場合は、第3者が売買契約書の写しを付けて、名義変更をする。
そして、営林署では、古くからある温泉の利用者の既得権を、第3者に対抗して、最も尊重しているという。
八幡平温泉郷の各温泉地における温泉貸付料-1974年時点-

八幡平温泉郷の各温泉地における温泉貸付料-1974年時点
基本価格 湧出口数 温泉地指数 湧出量指数 引湯距離指数 時価指数 時点修正 算率 貸付料
管轄 万円
トロコ 花輪営林署 160 1 0.1 0.6 1 5208 1.042 0.04 20839
銭川 花輪営林署 160 1 0.1 0.9 1 3472 1.042 0.04 20839
澄川 花輪営林署 160 1 0.1 0.8 1 3906 1.042 0.04 20839
赤川 花輪営林署 160 1 0.1 0.6 1 3125 1.042 0.04 12504
蒸の湯 花輪営林署 160 4 0.15 0.75 0.9 2381 1.042 0.04 37513
後生掛 花輪営林署 160 4 0.15 0 0.9 2500 1.042 0.04 45015
大沼 花輪営林署 160 1 0.1 0.45 1 2778 1.042 0.04 8337
大深 生保内営林署 160 2 0.15 1.5 不明 不明 1.042 0.04
玉川 生保内営林署 160 2 0.15 25 不明 不明 1.042 0.04 900000
籐七 生保内営林署 160 1 0.15 2 不明 不明 1.042 0.04
評価額
志張 私有地 160 2 0.05 0.4 不明 28800

八幡平温泉郷の国有地における温泉利用ーその2-

八幡平温泉郷中、国有地に立地する温泉は、公法的統制を背景として、温泉を私的個別的に利用し、温泉利用権を排他的に独占しているとみてよいかもしれない。
八幡平の自然的特性(積雪期が長い)や人文的特性(交通条件の整備が遅れた)も温泉の排他的私的個別利用を促した。又、営林署の温泉利用権の譲渡に対する認可も大きく影響している。この結果、1つの温泉地で1つの経営体という1温泉地1経営体が存続してきたと考えられる。
さて、後生掛集団施設地区内には、三菱金属工業の地熱発電によって生じた温泉を利用する施設が出来ている。そして、現在、土地貸付手続きが進行している施設が建築されれば、地区は飽和状態に達するため、今後一切施設建築は許可されない。ただし、一部、環境庁の土地があるが、この土地については、林野庁の関知するところではない。現在、これらの施設(3棟)についての温泉利用については、鹿角市の後生掛集団施設地区に関する市条例の摘要を受けている。