大滝温泉-共同浴場-

成立過程

1970年代初頭、共同浴場は大館市大滝地区に7ヶ所、大館市軽井沢地区に市営の軽井沢共同浴場が1ヶ所ある。
共同浴場の成立過程を概観し、ついでその管理機構等の実態を見ることにする。
昭和初期まで、大滝温泉には2つの共同浴場があった。1つを当時、上ミノ温泉と言い、1つを下ミノ温泉と言った。この下ミノ温泉は既に明治21年の蓑虫山人の絵に見えているから、明治初期に、上ミノ温泉から引湯することで分離したのであろう。上ミノ温泉の湯元は鶴の湯である。この当時の管理等は確認し得なかったが、排他的な利用はなかったようで、乞食を含めて、誰でも事由に無料で入浴できたと言われる。なお、上ミノ温泉は敷地・建物ともその所有は部落であったが、下ミノ温泉は私有地に立地していた。その後、大滝部落が温泉管理を旧十二所町に移管する際に、部落は協定事項3に見られる形を具現化するための条件として、桜の湯・横丁の湯・桑原の湯の3ヶ所を共同浴場としてもらいたいという要望を出したと言われる。
昭和30年に大滝に大館市営浴場が建設され、大館市は昭和31年に大館市営大滝温泉公衆浴場条例を公布し、第2条において、入湯料をとり、これを維持しようとしたが、昭和42年にはつぶれてしまった。当時、管理には部落の共同浴場組合があたったが、その管理下には市営公衆浴場と下の湯、上の湯の共同浴場もあった。さらに、大館市有で、温泉の増量が計られた結果、部落は各組合毎に引湯を認めるという形で、共同浴場は建設された。しかし、そのうち従来の下ミノ温泉は地主がその移転を要望したので、2つに分離して建設され、今日に至っている。これが、大滝温泉に7つもの共同浴場が立地した経緯である。かつては集団内部の共同体利用の前提のもとで成立した共同浴場が、町有化、市有化という変化の中で、その集落のある一定範囲の住民の排他的個別利用に変容していったことが窺える。

共同浴場の運営

大滝地区は、各共同浴場毎に組合が構成されている。
以下の表は共同浴場の管理運営をまとめたものである。
※軽井沢公衆浴場は軽井沢扶助組合、それ以外は各共同浴場組合が管理している。建物所有者も各組合有である。使用源泉は軽井沢公衆浴場が2号井、他は5号井を使用している。

名称土地開設年組合員準組合員備考
桜の湯私有19573271972年、65万で再築
しもの湯未回答未回答未回答未回答未回答
下の湯未回答未回答未回答未回答未回答
横丁の湯私有1949711225年前は正会員6世帯
中の湯未回答未回答未回答未回答未回答
上の湯未回答19198615未回答
桑原の湯私有195712未回答未回答
軽井沢公衆浴場未回答1969未回答未回答未回答

各組合員は通常2種類に分けられている。組合員と準組合員である。組合員とは、初めに共同浴場を建設した者、共同浴場の建物の所有権のある者であり、初めに組合を設立し、正規の入会金と毎月の組合費を納めている者である。
※下の写真は上の湯共同浴場であるが、入り口に「組合員以外の入湯を固くお断りします」の掲示が見られる。

準組合員は昭和37年9月に出来た大滝温泉共同浴場組合規定第5条によれば、組合員の家に間借り、又は、借家に住居している者ということになっている。
この大滝地区共同浴場で最も特色のあるものは、先の排他的利用による、入場者の制限であろう。前規定第8条ないしその修正案第8条に依れば、組合員とその家族、親類、縁者、又準組合員以外は、入場を絶対に禁止し、又これに違反した場合の処置も前規定には厳しく書かれている。このことについて、一説には市の共同浴場が入場料を取ることで、外来者が部落の共同浴場に"ただ"だからと入ってくることを禁止したためになったのだという説もあった。その為か、修正案では、将来、市が温泉福祉施設を作った時には、修正案第8条第2項は削除されるとしている。しかし、このことが直接7つの共同浴場の排他的私的個別利用そのものの解体を意味しない。何故ならば、本質的には、7つの共同浴場組合は、温泉を市が公法的統制をもって管理するという前提を背景としたところに成立した、特定の地域住民の排他的私的個別利用の対象なのであるから、外来者は当然温泉福祉施設に行くべきだということを狙うからである。
ところで、これに関してはまだ問題が残る。共同浴場を自己の宅地内に建て、これをもって、組合(組合員数は最低5人以上いればよい)を組織すれば、何ら自己の内湯と変わらず使用できる。現に、部落内部に於いて、これに対する批判も聞いた。なお、組合員になるには、大滝地区に居住した上で、新規加入を大滝自治会に承認され、なおかつ入会金と維持費を組合に納めることとされている

軽井沢共同浴場

最後に軽井沢共同浴場の成立と現状について述べることにする。
軽井沢共同浴場は第2号井を使用しているが、この第2号井は前述したように組合(花岡鉱山健康保険組合)が飲料水探査の目的のため掘削したものである。軽井沢部落はこれを共同浴場に利用しようとしたが、この2号井が温泉掘削申請で許可されたものではないので、改めて、昭和29年5月、県に申請し、昭和31年11月に県知事より軽井沢部落代表者Sに温泉掘削許可が下りた。部落はこれをもって2号井の利用に動き始めたが、大館市がこの動きを知って、部落と交渉し、その結果、昭和32年11月、大館市長と軽井沢部落は前記した部落と花岡確保の組合との協定書の内容と同様の協定書を交わした。市はこの協定書の内容をすぐには着手しなかったので、部落から陳情され、市長は市議県議などとも相談して、
1 軽井沢2号井は市有とし、利用許可申請をする
2 現在の湧出量を限度として、共同浴場か公衆浴場を建てる
3 現在の露天風呂は閉鎖する の試案をまとめ、部落に了解を得た。
この結果、2号井は市有となり、共同浴場も大館市公衆浴場として建設費3479000円をもって、昭和44年9月1日に竣工されたのである。
1970年代初頭、軽井沢扶助組合がその管理運営にあたっているが、管理人をおいて、これに委託している。入浴料金は部落無料、部落外大人20円小人10円である。8月の時期には、お盆のため、見知らぬ人が多いと記帳されている。(日誌)なお、この湯は大滝より効能が高いと言われ、大滝側住民もこれをよく利用してきたと言われる。

現在の大滝温泉各共同浴場の写真

桑原の湯

上の湯

大滝神社足湯

中ノ湯

下の湯

横丁の湯

しもの湯

桜の湯
現在は場所が変わっています